「子どもが○○なのはわたしのせい?」子育てに自信がもてなかった頃と、見る世界は選べるという話

ちょっと心理学のコト

この記事は、長男みつおが1歳7ヶ月だったころに、他の子どもたちと比べて落ち着きがなく、「わたしの育て方に問題があるんじゃ…」と自信を失っていたころの話です。

まわりの子どもたちと比べたり、“理想のお母さん”像と現実の自分を比べては、自分の子育てにまったく自信がもてず落ち込みまくっていました。

そんなドツボにハマっていたおみつですが、ある言葉をきっかけに、考え方も何もかもが一変。

すると、わたしの変化にみつおにも驚きの変化が起こりました。

完ぺきなお母さんにならなきゃ、と思っていたけど、それは本当に自分がなりたいお母さんだったのか?

「子育てに自信がもてない」

「自分は全然いいお母さんじゃない」

もしそう感じていたら、少しでも心が楽になるきっかけになれたらうれしいです。

まわりの子どもたちがおとなしい中、ひとり落ち着きのないみつお

みつおが1歳になったころ、親子参加型の英会話教室に通い始めました。

クラスは0歳~1歳が対象で、他の子どもたちも月齢が近い子ばかり。

みつおは、最初は恥ずかしがってわたしにくっついて大人しくしていました。

しかし、歩けるようになった1歳半ごろから急に積極的になり、教室の中を自由に歩き回るようになりました。

先生にも自分から絡むようになったので、積極的になったのはうれしかったのですが。

ほかの子がお母さんのお膝に座ってアクティビティに参加している中、みつおだけがウロウロ。

アクティビティに全然参加せず、他のオモチャや棚にしょっちゅう行ってしまうようになりました。

教室の中のものは基本的に「Don’t touch!」なので、みつおが他のものを触るたびに、抱え上げてはみんなの輪の中に戻るのですが。

みつおはやりたいことを強引に阻止されて、嫌がって大泣き。

輪の中に戻っても機嫌は収まらないわ、またウロウロして他のものを触りだすわ。

全然参加できない、ということが何週か続きました。

英会話に通っている甲斐がない気がして、悩む気持ちもありましたが。

それ以上に落ち込んだのは、ほかの子が参加できている中で、みつおだけがウロウロして参加できていないこと。

みつおが大人しくできないのは、わたしの育て方に問題があるんじゃ、と不安に感じるようになりました。

くま
くま

まだ1歳半なんだから、いろんなものに興味をもったり、ジッとしてないのは当たり前じゃん

おみつ
おみつ

もちろんそう思うし、この時も何度も自分にそう言い聞かせたんだけどね…

目の前で、他の子どもたちがお母さんのお膝の上に座っていたり、アクティビティに参加できたりしていると、わたしの育て方になにか問題があるんじゃ、と思うようになりました。

なぜなら、これまでのみつおとの関わり方にまったく自信がもてなかったから。

他の子より発達が遅めな息子、いきなりお母さんになった自分

みつおの発達は、どちらかというと遅め。

ハイハイをするのも、つかまり立ちするのも、歩くのも、月齢の低い他の子どもたちの方がどんどん先にできていきました。

1歳6ヶ月健診では、言葉の数も少ないね、と言われて。

一人一人個人差があるんだから、くらべちゃいけないことは頭ではよーーーくわかっているし、何度も自分に言い聞かせました。

が、どうしてもくらべてしまって。

なぜなら、自分の子育てに圧倒的に自信がなかったから。

仕事がある平日は、フルタイムで働いていたため息子にかまってあげられる時間がほとんどなく、やるべきことをせかせかとこなすだけの日々を送っていて。

「もっと○○してあげなきゃ」という思いはあるけど、心と身体に余裕がなく、イライラしてしまうこともたくさん。

そんな日々を振り返ると、息子との関わり方に自信が持てませんでした。

クラスの他のお母さんたちは、わたしから見ると“お母さん”に見えて。

でも鏡で見る自分は、全然“お母さん”に見えませんでした。

わたしが好きな映画『6才のボクが、大人になるまで。』の中で、母親のセリフに、

「わたしは“娘”からいきなり“お母さん”になったの!」

というセリフがあるのですが、その母親の気持ちが痛いほどわかって胸に刺さりました。

「お母さんならこうあるべき」という(完ぺきな)理想像と、それができていない現実の自分を比べて、落ち込んでいました。

欠点ばかり見ていた世界が一変した、とある言葉

そのころ、わたしは熊本のとあるカウンセラーの先生(以下タミコさん)のもとへ心理学の講座を学びに通っていました。

久しぶりにみつおを連れて一緒に講座に参加したところ、やはり歩き回ったり物を触ったりでジッとしていないみつお。

強引にやめさせると大声で泣くので、注意しながらみつおのそばについて、やりたいようにやらせていました。

進行のジャマになっていないかと気にしていたところ、タミコさんが笑って言いました。

「みつおくん、ちゃんと感情を出せているね!」

予想外の言葉に思わず「えっ?」と聞き返すと、

「あまりにおとなしかったら、感情をガマンしているんじゃないかって心配になるけど、きちんと感情を出せているから、安心しているんだね」

と言ってくれました。

その言葉に、天地がひっくり返ったような衝撃を受けました。

わたしにとって、その瞬間までみつおの行動は“落ち着きがない=問題行動”。

一方タミコさんから見ると、“自分の感情を出せている=安心できている行動”。

目から鱗がボロボロと落ちました。

みつおが安心して感情を出せていることがうれしいのと、自分の育て方に初めて人から「OK」をもらえた気がして。

目の前がパッと明るくなりました。

自分は本当はどうしたかったんだろう?

自分に自信がなく、まわりと比べたり人の目を気にしすぎたりしてしまうわたしは、“できていないこと”ばかりに目がいっていました。

そのために、息子のありのままをきちんと見れていなかったんだと気づかされました。

まわりの子ができているからとか、人からどう見られるかではなく、自分は本当はどうしたかったんだろう?

わたしは、みつおに聞き分けがいい子になってほしいのではなく、のびのびと自分らしく育ってほしいし、感情を素直に表現できる子になってほしい。

それが本心だったと気づきました。

自分の見方が変わっただけで、みつおの行動は“問題”ではなく“個性”に。

まわりが変わったわけでもなく、みつおが変わっただけでもないのに、自分が見方を変えただけで、世界ってこんなに変われるんだなーと思いました。

タミコさんの言葉で気づかなければ、わたしはずっとみつおが動き回るのを“問題”だと思い続けていたことでしょう。

たしかに、クラスの中でおとなしくアクティビティに参加している子は、先生から褒めてもらえるし、優先的にオモチャも渡してもらえます(先生に嫌味とかはまったくなく、ごく自然な流れで)。

聞き分けのいい子が“いい子”だとされ、そういう行動が良しとされる環境の中にもしいたら、息子はたしかに“問題児”かもしれません。

でも、イヤなのにイヤだと言えない、怒っているのに怒りを出せない、そんなふうに本当の感情を出せなくなってしまうことは、子どもにとってどれだけツラく残酷なことだろう。

もしこのままわたしが、みつおの感情を無視してどうにか参加させようと躍起になっていたらと思うと、ぞっとします。

みつおが、本当の感情をガマンするようになってしまっていたかもしれないから。

そうなる前に気づけてよかったな、と思います。

わたしの変化に、息子にも驚きの変化が起きた

講座を受けた日から数日後、再び英会話教室に行ったわたしとみつお。

みつおはあいかわらず歩き回って、他のオモチャを触ろうとしたので、ダメだよ~と抱き上げました。

すると、案の定すさまじい大泣き。

これまでのわたしは、動き回らないようにムリヤリ抱き上げたり、足や服をつかんだり、参加させることに躍起になって、それでも言うことを聞かない息子にイライラヘトヘト。

大泣きする息子を「よしよし」とあやしつつ、「ちゃんと参加してほしい」「他の子たちみたいにおとなしくしてほしい」と思うばかり。

みつおの気持ちに寄り添えていませんでした。

でもその日は、大泣きするみつおの気持ちに寄り添い、心から受け入れられた感覚がありました。

「うんうん、他のものが気になるんだよね~、みつおはそれが好きで触りたいんだよね~」と。

みつおの一生懸命な姿が可愛いく思えて、なんだか笑えてきてしまうくらいで、よしよしと背中をさすってあげました。

すると、今まで起きなかった驚きのできごとが!

みつおがしばらくすると泣き止んで、わたしの膝の上に自分からよじよじと座ってきたのです。

歩けるようになってから、1回もわたしの膝の上におとなしく座ったことがなかったみつお。

泣きだしたら、なかなか泣き止まなかったみつお。

そのみつおが、目に涙をいっぱい溜めながら、スゥッと泣き止んで自分からわたしの膝の上に座ってきた!

そして、しばらく先生の話をおとなしく聞いていました。

わたしはビックリして、なにが起こっているのかわからないやら嬉しいやら、目を丸くしていました。

完ぺきなのが“いいお母さん”じゃない

振り返ってみると、他の子どもたちもそれなりに動き回ったりしています。

大声で泣きわめくこともあります。

それでも、また参加できているのは、お母さんたちがそんな子どもたちのことを受け入れていて、楽しんでいるからなんだと気づきました。

お母さんたちの表情を見ていると、「泣き止んでほしい」とか「おとなしくしていてほしい」とか、わたしのような必死さや不安がなくて。

心から子どものことを受け入れているから、子どもたちは安心していたんだなーと気づきました。

一方のわたしは、不安や心配ばかりでみつおのことを受け入れてなかったから、みつおは安心できずなかなか泣き止まなかったり動き回ったりしていたんだろうな、と。

今回わたしの膝の上に座ってくれたのは、安心を感じてくれたからだと思います。

これまで自分がしてきたことを思い返すと、みつおには本当に申し訳なかったなと思いました。

まだ1歳7ヶ月のみつおが、こんなにも親の感情を敏感に感じとっていることにも、驚きでした。

わたしの好きなドラマ『パンとスープとネコ日和』で、母親になることを不安に感じている妊婦さんに、

「あなた自身が、“お母さん”のパイオニアになればいいんですよ」

というセリフがあるのですが、わたしはこの言葉が好きで、心に残っています。

他人と比べたり、まわりからの目を気にしすぎてしまうわたしは、「良いお母さんにならなきゃ」と完璧な理想像を求めていました。

そして、理想と現実とのギャップに落ち込み、自信がもてず、自分にもみつおにも欠点ばかりに目がいっていました。

子どものありのままを受け入れられていなかったなぁと思います。

“いいお母さん”って、決して完ぺきなお母さんのことじゃない。

どれだけなにをしてあげたか、どんな言葉をかけてあげたか、ではなく、心の在り方から伝わるもの。

みつおが初めて膝の上に座ってくれたときは、ようやく“お母さん”になれた気がしました。

みつおにとって安心できる場所になれたから。

いつまでも、みつおがホッと安心できる安全な場所でいたい。

それが、わたしが本当になりたかった“お母さん”なんだと気づかせてもらいました。

まわりと比べたり、まわりからどう思われるかではなく、「自分はどうしたいのか」を軸にすることが大切なんですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

記事内でご紹介した、タミコさんこと高瀬多美子さん。

心理学(交流分析)と脳科学を軸にした『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』を考案され、「むずかしくとらえられがちな心理学や脳科学を普段使いできること」をモットーに、講座の開講やカウンセリングをされています。

年齢を問わずみんながホッと安心できる場所として、熊本県宇土市にある「ひだまりの家サンポミチ」も主宰されています。

多美子さんのブログでは、『サンポミチ。親と子のかけ橋講座』で伝えられていることをもとに、日常生活で活かせる心理学のお話を発信されています。

親子や、他人、自分自身とのコミュニケーションについて悩んでいる人、自分を変えたいな…と感じている人には、きっと心が楽になるヒントがたくさんあるので、ぜひ読んでみてほしいと思います。

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